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コリント人への第二の手紙 12:15 - Japanese: 聖書 口語訳

15 そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

15 そこで、私はあなたがたのためなら喜んでなんでも差し出そう。それが自分自身であったとしても。しかし、私が愛せば愛すほど、あなたがたは私を遠ざけるのか?

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Colloquial Japanese (1955)

15 そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。

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リビングバイブル

15 私はあなたがたの魂を養うためなら、喜んで自分自身でも持ち物でも、すべて差し出します。たとえ、私が愛すれば愛するほど、もっとうとまれるようになってもそうします。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

15 わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

15 だから、私はあなた達のためだったら喜んで全てを費やし、使い果たされるために自分を捧げよう。私が愛せば愛するほど、あなた達が持つ愛は冷めるというのか?

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聖書 口語訳

15 そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。

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コリント人への第二の手紙 12:15
22 相互参照  

王は心に、アブサロムに会うことを、せつに望んだ。アムノンは死んでしまい、ダビデが彼のことはあきらめていたからである。


王はひじょうに悲しみ、門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」。


実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。


すでにある程度わたしたちを理解してくれているとおり、わたしたちの主イエスの日には、あなたがたがわたしたちの誇であるように、わたしたちもあなたがたの誇なのである。


わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。


なぜであるか。わたしがあなたがたを愛していないからか。それは、神がご存じである。


さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしている。しかし、負担はかけないつもりである。わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身なのだから。いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである。


ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。


このような事を書いたのは、わたしが行く時、わたしを喜ばせてくれるはずの人々から、悲しい思いをさせられたくないためである。わたし自身の喜びはあなたがた全体の喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからである。


こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。


どうか、わたしたちに心を開いてほしい。わたしたちは、だれにも不義をしたことがなく、だれをも破滅におとしいれたことがなく、だれからもだまし取ったことがない。


わたしは、責めるつもりでこう言うのではない。前にも言ったように、あなたがたはわたしの心のうちにいて、わたしたちと生死を共にしているのである。


あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。


そして、たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。


今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。


このように、あなたがたを慕わしく思っていたので、ただ神の福音ばかりではなく、自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛したのである。


それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。


あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。


私たちに従ってください:

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